子どもの習い事に潜む「親の願望」

「子どものために」と思って選んだ習い事。
でもふと立ち止まると、それは本当に子どものためだったのか?それとも、親である自分の後悔や願望を埋めようとしていただけなのか…。
そんな気づきがあった体験をまとめます。

気づきのきっかけ

いくつか習い事を始めてみて、ふと気づいたことがあります。
体験レッスンに連れて行くときの動機が「自分が体育が苦手だったから」「ピアノをやっておけばよかったから」といった、自分自身の後悔ベースになっていたこと。

「子どものために」と思って動いていたのに、その根っこには親の気持ちが強く影響していたのです。

実際に選んだ習い事

ピアノ、ダンス、体育。
どれも最終的には子ども自身が「やりたい!」と言ったものを選びました。

強制はしていないし、子どもが嫌がったら辞めてもいいというスタンスは崩していません。
ただ、「私の後悔がなければ、そもそも体験に連れて行かなかったのでは?」という疑問は残ります。

習い事はもっと幅広くあるはずなのに、気づけば「自分が興味のある分野」ばかりに偏っていたのも事実です。

親としてのモヤモヤ

「子どもが選んだ」と思っていても、スタート地点を用意しているのは親。
そう考えると、どこまでが子どもの意思で、どこからが親の願望なのか、線引きはとても曖昧です。

ただ一方で、親の経験や価値観から始めてみて、子どもが心から楽しめているなら、それも悪くないのかもしれません。

まとめ|気づくだけでも十分

習い事の選択から、親の願望や後悔を完全に切り離すのは難しいもの。
でも、「これは子どものため?それとも自分のため?」と一度立ち止まって考えることには意味があると思います。

そして最終的に子ども自身が楽しんで続けているなら、それで充分。
親の後悔を押し付けてしまったのでは…と不安になったとしても、気づいた時点でブレーキをかけられるのだから。